会社概要
社名 | 木下運動具工業株式会社 |
所在地 | 本社 堺市西区鳳中町2丁41番地 |
連絡先 | TEL:072-262-0341 FAX:072-265-6341 |
代表者 | 代表取締役 宮脇 捨治 |
創 業 | 明治38年 |
従業員数 | 15名 |
事業内容 | 公園施設遊器具、体育館施設器具、球技器具、陸上競技器具、体操器具、フィットネス器具等の企画、設計、施工、販売、各種コート,運動場他舗装工事全般 |
取引銀行 | 本社工場 三井住友銀行 鳳支店| 大阪信用金庫 鳳支店 |
加入団体 | (社)日本スポーツ用品工業協会 (社)日本バスケットボール協会 日本運動施設建設業協会 |
建設業許可 | 大阪府知事許可(般-2)第28386号 土木工事業、とび・土工工事業、造園工事業 |
会社沿革
明治38年 | 理科器具、学校机、腰掛けその他一般教材、備品の製造販売を、大阪府泉北郡上神谷村富蔵に創業する。 |
大正9年 | 工場及び営業所を堺市三国ヶ丘に移転し、木下製作所として、学校用体育機具の製造販売をする。 |
大正12年 | 当時の販路は、大阪府下の官公庁及び学校であったが、その販路を、日本全国、さらに朝鮮、東南アジアの諸国にまで拡張し、特に満州、関東州、シナ方面には満州事変後は多大の製品を販売する。 |
昭和13年 | 事変のため、諸資材の統制がなされたにもかかわらず、昭和17年より、特に学校用飛び箱、マットの生産指令を受け、その資材割り当実績は我が国第2位であった。 |
昭和18年 | 代表者 木下松太郎より、現会長木下 進が継承する。 |
昭和19年 | 戦時家屋疎開の為、現住所に移りスポーツ用機具を主に販売 |
昭和27年 | 法人組織に改組し、代表取締役に木下 進就任する。株式会社木下製作所となる。 |
昭和43年 | 社名を、木下運動具工業株式会社に変更する。 |
資本金を200万円に増資する。 | |
取締役に木下 裕允就任する。 | |
昭和48年 | 代表取締役に河中 富蔵就任する。 |
取締役会長に木下 進就任する。 | |
昭和60年 | 資本金1929万円に増資 |
昭和63年 | 代表取締役に木下 裕允就任する。 |
資本金2063万円に増資する。 | |
平成1年 | (株)コトブキ代理店契約をする。 |
平成5年 | 堺市鳳東町6丁665番1に第2工場を開設する。 |